美少女戦士セーラームーンシリーズでシリーズディレクターを勤め、『少女革命ウテナ』、『輪るピングドラム』で監督をしていた幾原邦彦。
アニメの制作だけでなく、小説や漫画原作なども手がけています。
幾原邦彦は、1986年に東映アニメーション(当時:東映動画)佐藤順一の元、様々なアニメ制作に取り組みました。
『劇場版美少女戦士セーラームーンR』で監督としてデビューし、フリーになり、クリエイター集団ビーパパスを設立。『少女革命ウテナ』を制作します。
その後アニメ制作を離れ、文化庁派遣芸術家在外研修員としてロサンゼルスへ渡航、『ノケモノと花嫁』などの漫画原作や小説などにも取り組んでいました。
そして2012年『輪るピングドラム』で再びアニメ監督として戻ってきました。
現在は2015年1月から放送開始した『ユリ熊嵐』が絶賛放送中です。
幾原監督てどんな人?
「イクニ」の愛称で親しまれ、自身もブログなどでも利用しています。
自身の作品を知ってもらうきっかけになるならという考えを持っており、メディアに出る際は服装も派手なものが多く、前髪も何かしらの色(今は紫?)で染めています。
学生時代に演劇に傾倒しており、造形が深く作品にも随所に見て受け取れます。
杉井ギサブローが作画監督として参加した『哀しみのベラドンナ』を観てアニメーションを意識したそうです。
またアニメ監督として影響を受けたのは出崎統と押井守です。
庵野秀明とも親交が深く、『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲルのモデルとしても知られています。
様々な人に影響を与えた独特な作風
幾原邦彦は庵野秀明、細田守、大河内一楼、長濱博史、中村豊などの多くのアニメーターに影響を与えました。
ではどんな作風だったのでしょう。
監督として「セル画の枚数・作画の力に頼らずに面白い物を作る」というポリシーを持っており、
独特の止め絵の使い方、セーラームーンの変身シーンなどにみられる特定のシーンの多数流用すること、また少女革命ウテナで多く発揮された演劇的な表現にも現れています。
また構成作家としてはテーマを明確に伝えるために、リアリズムより抽象的なものが多く、ストーリーの時系列を変えたり、現実の物理法則などを無視した演出も多いです。
少し難解な演出もありますが、一方でギャグ演出も得意であり、見ていて飽きさせない作品が多いのも魅力のひとつです。
幾原邦彦を知るならやっぱりウテナで
幾原邦彦のクリエイティブを理解する上で重要な人物として日本の演劇で影響を与えた寺山修司がいます。
幾原自身も内面を見つめ直す時にそこに立ち返るのですが、『少女革命ウテナ』はその寺山修司を全面に出した作品なのです。
『少女革命ウテナ』は1997年の作品で、漫画家のさいとうちほとこの作品のためにつくられた制作集団ビーパパスによって生まれた作品です。
宝塚歌劇と前衛舞台劇を全面に押しだした演出で、同性愛、近親愛などの要素を盛り込み少女漫画的な独特の世界観をもっています。
そしてなにより、寺山修司と一緒に仕事をしていたJ・A・シーザーを音楽制作として採用しています。
また劇場版も完全オリジナルとして公開しており、どちらも幾原要素がたっぷりの作品となっています。
最後に
昨年、装いを新たに『美少女セーラームーン』が放送され、ファンの間で盛り上がりをみせました。
そして、幾原邦彦独特の世界観が気になる人は、現在放送中の『ユリ熊嵐』を要チェックです。
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