豊富なアニメ経験を積んで来た「ベテラン」が、思わずのめり込んでしまいそうな、力作に出会う瞬間があります。そうしたアニメには濃厚なテーマ、オリジナリティあふれる世界観、そこで活躍する個性的なキャラクターたちなど、作り手の強いこだわりがそれぞれに凝縮されています。だからこそ、時にとんでもなく刺激的だったり、ホロ苦い後味が残ったり…さまざまな深い余韻が楽しめる作品たちの「ハマるツボ」を、ご紹介しましょう。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
人類が幸福に生きるための理想をつきつめた世界…その描かれ方は、千差万別です。『攻殻機動隊』シリーズの場合は2020年頃からの物語が紡がれていますが、現実とは異なる歴史を経た架空の都市が舞台。科学技術も実際とは比べ物にならないほど進んでいて、人間という存在が生身だけでなくサイボーグ、アンドロイドなど、さまざまな生命体として分化されています。こうした「生き方の多様化」こそが、物語最大のテーマである「人が人である所以とはなにか?」という疑問符を生み出す原点につながっているのです。本作『STAND ALONE COMPLEX』(以下S.A.C.)は、「笑い男事件」というサイバーテロ犯罪と、公安特殊部隊との戦いを中心としたSFサスペンス。ですが、もうひとつの大きな柱は、人間としての本質を問う「笑い男」以外のエピソードの積み重ねにある、と言えるかもしれません。
やや難解な世界観とスタイリッシュな映像は、まさに最強のコンビネーション。それとともに物語に深みを与えているのが、公安9課という公的秘密機関に所属する、それぞれに個性的なエージェントたちの存在です。実質的なリーダーは草薙素子という女性サイボーグ。脳などのごく一部を除いて機械化されています。「機械化」とは言っても、大げさにメカメカしいロボットタイプではなく、見た目はまんま生身。しかも、理想的なプロポーションと美貌を持つ美女です。クールビューティのお手本のような彼女を中心に、アクの強い面々がまっすぐな正義感を胸に、事件の謎を追います。脳とAIネットワークが直接結ばれたデジタルなやり取りもありますが、事件の根底にあるもの、あるいはそれを解決するためのきっかけになるのは、かなりアナログ系な感性です。9課の面々の人間味あふれるエピソードの数々は、S.A.C.だけでなく攻殻機動隊そのものの人気の秘訣と言えるのではないでしょうか。さらに、人間以上に人間的なAI戦車「タチコマ」たちは、男女を問わず多くのファンをひきつけてやまないエッセンスのひとつ。とくに命を賭けても守るべきものがあることをストレートに描いた第25話は、感涙必至です。もうひとり注目のサブキャラが、9課のトップ、荒巻課長。その渋い大人の魅力も、お見逃しなく。
PSYCHO-PASS サイコパス
本作もまた、理想郷をイメージした世界観のもとで、物語が展開されます。その「理想」を具現化しているのは、人間の感情や性向を数値として検証し、管理するシステム。本質的にはかなり、怖い話です。なにしろ、具体的には何の罪も犯していないのに、数値が規定値を超えた、というだけで犯罪者扱いされ、追い詰められ、良くて麻痺から捕獲、悪ければ無残に処分されてしまうのですから。進化したAI(らしきもの)によってストレスが解消され、快適な生活が送れるはずの西暦2112年の日本が、なぜかどんよりと薄暗く見えてしまうのは、その潜在的な恐怖のためかもしれません。どこかブレードランナーな世界観は、SF好きにはたまらない設定でしょう。主人公は、その街で、犯罪者もしくは犯罪者になるかもしれない人を追いつめる「監視官」、常守 朱。新米であるがゆえに自分の仕事に疑問を抱きながらも、さまざまな事件と向き合う中で追う者としても人としても成長し、やがて“理想郷の真実”と対峙するまでが描かれます。
主人公の成長に直接関わってくる公安局刑事課一係のメンバーは、ひとクセもふたクセもありそうな顔ぶればかり。それもそのはず、犯罪者を追う「執行官」と呼ばれる彼らは、犯罪者になりうる潜在的素養を示す数値が、非常に高い凶悪犯予備軍です。そのため、本来は最前線で戦う正義の味方であるはずなのに「猟犬」扱い、自由に外出することすら許されていません。この独特の設定が、ますます物語のダーク感を引き立てます。さらに面白いのが、突出した才能とか人知を超えた能力といった、ファンタジー系スペックを誰も持っていないところ。そのため「捜査」はかなり地道で、アナログ感が漂います。このあたりは、総監督の本広克行が「踊る大捜査線」などの実写系刑事ドラマを手がけてきたことを知っておくと、さらに興味深く楽しめるかもしれません。回が進むに連れて人間関係が自然に深まっていく展開も、本広節の真骨頂といったところ。「次回」への期待感を、巧みに煽ってくれます。
Darker Than BLACK 黒の契約者
一見すれば、見慣れた都会の夜景。けれど実は、そこにある夜空に瞬いているのは、偽りの星たちだった…言葉にすれば簡単だけれど、映像でその「偽り感」を表現するのは、なかなか難しいハズ。『黒の契約者』は、世界規模の変動によって生まれたその独特の世界観を、さりげない違和感とともに巧みに表現することに成功しました。舞台は現代の東京に似ているけれど、実は非なる架空の街。そこで繰り広げられる、異能の力を持つ「契約者」と、人の社会を守ろうとする人間たちとの密かな戦いが、ハードボイルドなタッチで描かれていきます。単純に、人ではないものたちvs人、ではなく、契約者の力を利用している組織も存在しているので、対立関係はやや複雑。秘密組織だけでなく、米国CIAや英国MI6といった国際的諜報機関まで絡んできます。そんな混沌とした争いに一本筋を通すのが、主人公である契約者、黒(ヘイ)の苦闘です。彼は、組織の一員として任務をこなしながら、過去の過ちを清算するために、偽りの世界の謎を解き明かそうとしているのです。
契約者が持つ特殊な能力は、本作の見どころのひとつです。たとえば黒は電流を操ることで、相手を麻痺させたり殺したりすることができます。テレポートしたり、水分を凍結させたりする者も。面白いのは契約者が能力を使うと、必ず何らかの「対価」を払わなければならないこと。その払い方がバラエティに富んでいて、たとえば大好きなお酒を飲む…といった幸せそうなものから、対照的に、大嫌いなタバコをふかさなければならない過酷なものも。「キスをする」のはともかく、「若返る」といった摩訶不思議な対価もあります。興味深いことに、本来、契約者は人間とは違ってとても合理的な思考をする「心がない」ハズの存在なのですが、対価を払っている時はとても人間らしく見えます。そこには、彼らが能力と引き換えにした、深い喪失感が感じられます。とくに、かつて「最悪」と言われる契約者だった女性のエピソードを通して、彼ら“人間性”が浮き彫りになる第5話以降は、彼らに感情移入してしまうかも。劇中のセリフにもある「どうして彼女は能力を使わなかったのか」という疑問を抱いた瞬間に、黒の契約者の面白さは加速していくのです。
BLACK LAGOON ブラックラグーン
第1話が始まってわずか27秒後に、普通のサラリーマンとしての主人公の人生は、崩れ去ります。そしてそこからは、怒涛のような海賊ライフの始まり始まり…。時は20世紀末、ところはタイ。一流企業に勤めていた岡島緑郎は誘拐事件に巻き込まれたことをきっかけに、脱サラを決意。「ロック」というあだ名をもらって、裏社会の住人たちが暗躍する架空の都市と紺碧の大海原を舞台に、血と硝煙の匂いにまみれた“運び屋稼業”に従事することになります。それこそ本当に、命がけのお仕事というワケで。ロックのな転職生活だけでも、本作『ブラックラグーン』の刺激的な世界観は伝わってくるハズ。さらに、クライムアクションとしての面白さを一気に盛り上げてくれるのが、抜群に個性的なロックの「仲間たち」です。とくに、ヒロイン?と思しきレヴィの、ヒロインらしからぬ破天荒ぶりが、ストーリー全体をグイグイと引っ張っていきます。少しばかりサディスティックな彼女の女王様感も、ある意味、この作品のたまらない魅力でしょう。
そんなレヴィとともに、ブラックラグーンの世界を賑やかに彩ってくれるのが、裏社会に関わる「悪いヤツら」。2挺拳銃を駆使して圧倒的な殺傷能力を持つレヴィに勝るとも劣らない、人間離れした怪物たちが続々登場します。彼らのド派手な戦いっぷりには、思わず手に汗握ることうけあい。打ち合い、斬り合い、果たし合いのスピード感、迫力には脱帽です。さらに彼らとレヴィが時折り見せる、掛け合い漫才のようなやりとりが笑えます。とくにオススメなゲストキャラは、大型ライフルやグレネードランチャーをおもちゃのように撃ちまくるメイドさん、ロベルタ。「猟犬」とか「肉食獣」とか、おどろおどろしいネーミングにふさわしい弾けっぷりもさることながら、雇い主であるガルシアへの献身ぶりが魅力的です。
プラネテス – ΠΛΑΝΗΤΕΣ
「宇宙飛行士だってサラリーマンなんだ!」と、主人公が嘆くシーンが、『プラテネス』の世界観を端的に物語っています。時は2070年代半ば、舞台は宇宙開発が進んでビジネス面でも人類の進出が著しい宇宙空間、主人公は国際宇宙ステーション在住の宇宙飛行士。と、聞けば、深遠かつ壮大なスペースオデッセイの香りが漂ってきそうですが、本作で描かれる宇宙での生活は、かなり“普通”です。とくに主人公のハチマキ(こと、星野八郎太)の日常は、彼女なし、遊ぶ甲斐性なし、時々エッチなソフトで慰めて、当たらない宝くじに一喜一憂、仲間たちと酒をおごりあい、たまにはハメを外してみたりする…あまりイケてない独身寮生活者そのもの。しかも仕事は、宇宙のごみ「デブリ」掃除。同じ社内でもハンパものとして扱われるなど、かなり不遇な日々に鬱屈したものがたまりまくっています。宇宙をまたにかけたヒーロー感など、ほぼ皆無。なにしろ「サラリーマン」なんですから。そんな彼の日常が、ひとりの元気な後輩の登場で大きく変わっていくところから、物語は始まります。
ハチマキの人生に一石を投じるのは、一部ではかなり「かわいい」と評されるけれど、どちらかといえば天然系熱血少女、タナベ(こと田名部 愛)です。「愛は世界を救う」的正義感を言動に移してしまう素直な暑苦しさゆえに、はじめはハチマキと折につけぶつかり合うことになりますが、次第にふたりの関係が変化していきます。その不器用vs純朴が融和していくプロセスが、ほのぼのとした優しい感動を積み重ねていきます。ふたりの恋愛模様が深まっていくとともに、挫折しかけた若者が夢に向かって羽ばたき始める青春ストーリーとしてのメインテーマが浮き彫りになり、やがてそれが大きな広がりを見せていきます。それはもしかすると、立派なスペースオデッセイになりうるかも…というビッグスケール。誰かと一緒に夢を見る素晴らしさを、あらためて思い出すことができそうな優しい趣が魅力の、SF青春物語です。
COWBOY BEBOP-カウボーイビバップ
とある宇宙規模の大事故のために、人類が地球を捨ててほかの惑星へと移住せざるをえなくなった2070年代。それはたとえるなら、アメリカの西部開拓史の時代にも似て…エネルギッシュで勢い任せの「宇宙開拓時代」が訪れます。しかしその急激な変化の中で治安は乱れ、さまざまな犯罪までもが広く宇宙中に拡散していきます。警察では対応しきれない犯罪者の増加に対して、指名手配犯を逮捕する仕事を請け負うのが、主人公スパイクのようなバウンティハンター(賞金稼ぎ)でした。つまり本作『カウボーイビバップ』のカウボーイとは、まさに往時の賞金稼ぎたちをモチーフにしたもの。そのモチーフは、自分なりの価値観にこだわり抜く不器用さや、かなり荒っぽいアウトローな仕事ぶりといった「カウボーイ」らしい生き様にも反映されています。
金はない、けど自由気ままなスパイクたちの活躍は、時にコミカル、時にシリアス、時にホラーで、時にハチャメチャ。全26話の飽きさせないバラエティ感溢れるエピソード展開もさることながら、軽妙洒脱なセリフ回しとテンポよくスタイリッシュな映像美が、本作の最大の魅力と言えるかもしれません。スパイクとジェットのひとクセふたクセあるキャラクター設定に加え、途中から宇宙船ビバップ号に加わっていく仲間たちの存在も、作品に深みを与えています。男性ファン的には実年齢70歳越えの23歳、フェイのはすっぱさに痺れるかも。女性ファン的には、守ってあげたくなるエドや、本当はスパイクよりはるかに知能が高い天才コーギー、アインに萌えてしまうことでしょう。ともすれば能天気なアクションオンリーかと思われそうですが実は、不器用な大人の男の生き様をクールに物語るハードボイルドな一面もあることを、お忘れなく。
Samurai Chaploo(サムライチャンプルー)
『サムライチャンプルー』のような作品に出会うと、つくづく「アニメって、総合芸術なんだな」と感じさせられます。舞台は江戸時代。とはいっても、現代の文化が少しだけ入り混じった架空の横浜で、天涯孤独な少女、フウと、性格的には真反対ながら腕の立つふたりの若い剣士、ムゲンとジンが出会い、長崎へと旅立つところから物語は始まります。フウの謎めいた旅の目的に加え、ムゲンとジンもそれぞれに秘めた過去をひきずっているなど、三人の旅は波乱含み。ことあるごとに対立しながらも、次々に起こる事件、強敵たちとの戦いを経て、次第に寄り添いあっていく彼らの心の機微が胸を打ちます。その個性的なキャラクターたちを巡るシュールなストーリーをテンポよく盛り上げるのが、軽妙なようでいて実は無駄のない会話や、ヒップホップ感覚溢れるBGMです。
全編を通じて心に残るのが、ひとつひとつのカットがとても力強く「芸術的な」映像美です。とくに、シーンごとの雰囲気にしっとりとした深みを加える光の使い方の繊細さには、驚かされました。圧巻は、殺陣のシーン。目にも止まらないスピードで交わされる剣尖を、一筋の光が幾重にも連なるように表現する手法など、とても斬新な映像表現が盛り込まれています。月光を鈍く跳ね返す剣先の動きに、鋼の刃先が持つ重量感まで感じとれるほど。切られると、本当に痛そうです。さらにこの殺陣の迫力を増してくれるもうひとつのアイテムが、水です。とくに物語の終盤、盲目の流れ瞽女や「神の手」と呼ばれる剣豪との死闘の中で、鋭く重い剣さばきを水の動きで表現している場面は、思わず見直してしまいたくなる凄みと美しさ。そうした手に汗握るアクションシーンとは対照的に、情感あふれるシーンでの物静かな光の配しかたも印象的です。バディムービーとしての仕上がりも、まさにスキなし!な快作です。
MONSTERモンスター
善と悪のボーダーは、いったいどこにあるのか…ドラマ作りの永遠のテーマに、深い人間の闇を絡めながら描いたMONSTERは、「ほろ苦い」を通り越して大人にしか理解できないさまざまな「痛み」が、全編に散りばめられています。舞台は1986年の西ドイツ。輝かしい将来を約束されている若き脳外科医ケンゾー・テンマが、主人公です。彼は上司の命令に逆らい、医師としての良心に従って、少年ヨハンを助けます。しかしその善行は、恐ろしい事件の発端となってしまうのでした。少年の命を救わなければ未然に防げたはずの悲劇の連続に、重い責任を感じたテンマは、過ちを正すためにヨハンを追い続けます。自らも殺人犯の濡れ衣を着せられ、冷徹なルンゲ警部に追い詰められながら、先の見えない謎を解くべく苦難に満ちた旅を続けるのでした。
テンマと、ヨハンの妹であるアンナ(ニナと名乗っていますが)、ふたりの追跡劇を中心に謎を解き明かしていくこの物語は、サスペンスミステリーとしても高い完成度を誇ります。同時に、テンマたちの旅を通じて知り合う人々が、実に生き生きと描かれているところも魅力のひとつです。「生き生き」と言っても、彼らの生き方は決してポジティブではありません。それどころか、表向き穏やかな日々を過ごしているように見えて実は、重い過去に悩み未来を迷っているのです。時に過去に抗い、時に過去に流されながら、懸命でひたむきな彼らの生々しい生き様に心打たれます。とくに、テンマの悪を疑うことなく徹底的に追い詰めるルンゲ警部、テンマの婚約者にもかかわらず転落人生を送るエヴァ、そしてヨハンの出征に関わる秘密を追い続けるフリージャーナリストのグリマー…物語のカギを握るこの3人の葛藤には、深い痛みとともに不思議な癒しさえ覚えることでしょう。それは、さまざまな人生経験を積んできた大人だからこそ、心動かされる瞬間なのかもしれません。
バッカーノ
数え切れないほどの登場人物が、ことごとく曲者ぞろい。善人?悪人、大物小者、老若男女が入り乱れて「バッカーノ!」(イタリア語で「馬鹿騒ぎ」を意味するそうです)に興じる、かなりドタバタ劇な要素が強い作品…というのが第一印象です。物語そのものは主に3つの時代と場所を行ったり来たりしながら、とんでもなく複雑に絡み合って進行。あまりにもわかりづらいので整理整頓してあらすじをまとめてみようかと思いましたが、ムリかも。このバッカーノ!には、右往左往している騒ぎが次第にまとまっていき、やがて謎が(とりあえず)解き明かされ、山盛りキャラクターたちの葛藤が解決していくラストシーンまでしっかり付き合ってみて初めて、その感動が心の隅々にまで行きわたる…素敵なカラクリが仕掛けられているのです。
いちおう狂言回し的なキャラクターはいるものの、テンポがよくて複雑な展開についていくのは、なかなか大変です。さらには「不死者」と呼ばれる、死なない…というか死ねない?超人的な人々が次々に登場してくると、世界観そのものに対する?マークまでついてしまいます。ちょん切られたハズの指が、飛び散った血液とともにスルスルと磁石に引っ張られるように戻ってくっついてしまうなど、死なない程度にもほどがあるだろ! な、強烈な設定にもびっくり。ギャング間の抗争をはじめ、「映画 アンタッチャブル」にも匹敵するハードなシーンがテンコモリ。見ている側は頭も心も翻弄され続けます。と、言いながら、実はそんな摩訶不思議で強引な展開のおかげで、気がつけばもう後戻りできなくなってしまうのですが。最後までこの「馬鹿騒ぎ」と付き合うことができたら、間違いなく「大人」です。
坂道のアポロン
舞台は、1960年代半ばの長崎・佐世保。九州弁丸出しの会話が飛び交うローカル色たっぷりの佐世保東高校に、横須賀から主人公、西見 薫が転入してくるところから物語が始まります。少しだけ自閉症的な性格もあって初めは周囲になじめなかった主人公に、やがて川淵千太郎という親友ができ、彼の愛らしい幼馴染とちょっと大人な先輩美女も含めた男女2対2のグループ交際が深まっていきます。一方でそこには、それぞれにすれ違う想いがあって…複雑な恋愛模様が、とても自然にちょっと切なく、生き生きと描かれていきます。いつかどこかで見たような懐かしい景色の中で展開される、若さゆえにもどかしい純愛ストーリーの王道といったところ。『坂道のアポロン』は、どんな世代が見ても安心して、青春時代のワクワク、ドキドキから始まる感動に浸ることができるでしょう。
本作では、ジャズがとても重要な役割を果たしています。ともすればまったく相容れない薫と千太郎のデコボココンビがつながるきっかけも、定番的名曲のセッションでした。ジャズそのものの音楽性の素晴らしさは「アポロンならでは」の魅力的なエッセンスですが、そのセッションシーンもまた、この物語を好きになるポイントのひとつです。実際のプレーヤーの動きをキャプチャーしたという演奏場面では、ジャズの真骨頂とも言えるリズミカルで歯切れの良い動きがリアルに再現されています。そのおかげで、プレーヤー同士の息のあった気持ち良さが、とてもわかりやすく伝わってきます。それは、思わずスイングしたくなる心地良さ。大人好みのさりげない癒し感が全編に散りばめられた、爽やかな感動を呼ぶ一編です。